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※このページでは、「表現者」に掲載された、当社代表の佐藤の執筆記事をご紹介しています。
 (「表現者」は、ジョルダンブックスが刊行している総合オピニオン誌です。)
2020年ICT社会 ☆☆  世界経済は混沌としながらも崩壊には至らず、アジアでは尖閣を巡る日中の対立が起こり、民主党政権は瓦解、アベノミクスが日本のメディアを賑わす。北朝鮮の核、イランの核は、次なるステージに備え、密かに息を潜めている。
 この連載も、GPS等の技術から始め、プライスライン、アマゾンといったアメリカの企業を紹介し、合間にポップカルチャーとも比すべき新しい若者の生態にも触れてきた。もっといろいろ紹介したいことはあるが、いくつかの例を出しながら強調したかったことは、この10年余、技術は飛躍的に進歩しているということ、アメリカのIT企業はとことん戦略的に動いているということ、そういった中で新しい生活のスタイルが生まれてきている。この3点である。
 世界経済は、今現在は比較的落ち着いているが、再び混乱し始めるであろう。欧州もアメリカも日本も。政治的状況は、アラブで、日中間で、一波乱ありそうでもある。経済の行き詰まりはすべてをぶち壊し再生を、というのがこれまでの戦争のパターンである。ICT機器の高性能化で、ロボット兵器やら、インターネットによる攻撃といったやり方が登場するにしても、つまるところは大量の兵器の使用、都市の破壊、日常生活の混乱である。
 しかしである。ぶち壊し、再生といったこれまでのやり方ではどうにもならないもっと深いところで大きな変化が起こっているとしたらどうであろう。皆でトンチンカンなことをしているのかも知れない。
 私は論理的というよりは、感覚的な人間である。学問としての経済学は殆ど知らない。ただ、少なくともこの3,40年のICT革命はきちんと読み切ってきたつもりである。2020年のICT社会というのは、そもそも、経済学にも問題提起をしながら、基本的なものの見方を提示し、今本当はこんなことが始まっている、だからこうすべきなのである、と言ったことを書いていくつもりであった。
 あまりにも拙く、お笑いのネタを与えるだけかも知れないという不安はある。それはそれ、少なくともこんなことを考えているベンチャー企業の経営者がいる、ということだけはわかってもらえると思う。
7 地球は丸い  黒澤明の映画で、妙に頭にこびりついているシーンがある。確か、織田信長が戦に鉄砲を用いたときのシーンである。広い原っぱの両端に、両陣営の大将が鎧兜を身にまとい対峙している。通常は大将が口上を述べた後、両陣営の歩兵、騎馬軍が「わーっ」と前進するのであるが、信長の陣は当時の常識破り、全然動こうとしない。待ちきれず武田の騎馬軍が動く。
 この頃の鉄砲(火縄銃)は、点火してから発射まで若干の時間がかかる。撃った後、弾をつめ直さねばならない。信長は、鉄砲隊を3列に分け、各列が時間差攻撃をするという画期的な戦法を考えていた。十分近くまで敵が来たところで最前列の鉄砲隊が撃つ。次いで、次の列が前列に出る。最後に3列目。武田騎馬軍は壊滅した。この戦を機に、武田と織田の力関係は逆転する。信長は日本統一に向けて動き出す。しかし、謀反にあい本能寺で倒れる。信長の偉業は秀吉に受け継がれ、日本は統一される。その後、徳川家康により、徳川260年の安定期に入る。
 鉄砲で見せた信長の異才は、統一国家運営に向けてのさまざまな仕掛けにまで及んでいる。当時の論功行賞は、石高にて与えられた。1人の兵士が1年で食べるコメの量が一石と言われた時代のこと。お馴染み、加賀百万石とは、100万人の兵士を食べさせる力のあった大名ということである。
 次々と破竹の勢いで戦いに勝っているときには、戦が終わったあと、奪い取った土地を褒美で与えることにより、部下に報いることができた。しかし、国家が統一されたとき、何を新しい褒美にするか。実は、信長は「名物狩り」と言われるまで、本格的に茶道具を収集し始めていた。
 信長は若い頃から茶の湯を親しむ環境にはあったようである。本能寺の変より遡ること10年余、永禄11年に上洛した際、松永久秀や今井宗久に茶器を献上されたのがきっかけで、狂ったように茶器を集め始める。稀代の異才は、楽市楽座やら南蛮貿易やらありとあらゆる新しさに興味を持つが、じき論功行賞の石高が枯渇して、さまざまな矛盾が出てくることを感じ、膨大な市場になりうる新しい文化を直感的に把握していたものと思える。茶器の名物は、一国一城にも匹敵するとも言われた。

 戦がなく、平和な時代。「コメ」と交換される豊富な「もの」、農家は単に「コメ」を作るだけでなく、市場で売れる「もの」の生産にも関わり始める。「もの」の製造を生業とする人たち、「もの」の流通に関わる人たち、皆、堰を切ったように入り混じって動き始める。豪商が現れる。過剰流動性は、この時代にもすでに発生していた。
 千利休と激しい葛藤を演じた豊臣秀吉は、信長を真似ようとして真似きれず、家康は鎖国、参勤交代により、インフレよりはデフレでのクローズした世界を築こうとした。信長の夢見た世界は、スローなペースで後世に引き継がれていく。
 国家とは何かという大きな命題に踏み込むことは一旦避けるが、信長の時代と今の時代とを比較したとき、今の時代は所有に関わるシステムの整備がなされている。信長の時代は2次元の世界での塗り絵、自分の領地を拡げる陣取り合戦をするしかなかった。今なら麹町1丁目に建てられた競合相手のビルに対抗し、麹町2丁目にもっと立派なビルを建てることができる。それどころか、同じビルで別々のフロアを所有することもできる。
 人間の叡智は区分所有法という概念を作り、システム化し、誰もが納得する体系を作り上げた。もはや鬨の声をあげての血みどろな戦は必要ない。2次元の世界から3次元の世界に進化したのである。
 日本だけでなく、世界的に、国家という枠の中でのことではあるが、ルール作りがなされ、システム化されてきた。不動産も動産も、流通市場も整備されてきた。かつての主従関係を持つ組織は、会社という組織に置き換わる。株式という手段を通じて、別な会社を合理的に支配することも可能になった。日本の主要な会社が中国の会社に買われ、銀座の土地がすべて事実上中国に買われるということも、あり得ない話ではなくなってきている。

 貿易は全世界に拡大した。決済のためには為替取引がなされなければならない。変動相場制の下では、半年後に輸入代金をドルで受け取る企業にすれば、早めに金額を自国の通貨で確定したく、為替の先物の予約をする。先物市場は必要欠くべからざる合理的な存在である。万一のことを考えると、保険も必須であり、まとめて買って小さく分割して売るという業者の出現もまた合理的である。
 額に汗したお金のみが貴いという時代は終わり、高性能のコンピュータを駆使し、いろいろな金融商品が作られ、また、コンピュータのプログラム同士が利ざやを求めて競い合う。
 今現在、世界を飛び交っているお金の総量は「兆」を超え、世界の国家予算をもはるかに超える「京」円の単位になっている。これが瞬時に動く。地球は丸い。24時間、市場は休みなしに動く。

 過剰流動性は収まるべき場所を見つけられずに、ひたすら動き回っている。過剰流動性を吸収できるのは、信長の茶器のように、新しい文化、新しい価値観である。
8 機械はただ減価償却費のみを加える  大分前になるが、仕事上の用事で四国の徳島に行ったことがある。徳島の人たちの自慢の企業は二つ、ワープロソフト「一太郎」を開発した「ジャストシステム」と「オロナミンC」の「大塚製薬」である。

 浮川和宣?初子夫妻が1979年(昭和54年)に創業したジャストシステムは、1990年代初めには絶頂期を迎える。マイクロソフトよりも早くウインドウを手がけ、ジャストウィンドウなるものを発売した。当時は、新進気鋭の開発技術者が徳島を目指し、徳島はまさに日本のシリコンバレーといった様相を呈した時でもあった。ジャストウィンドウの開発技術者の鼻息は荒く、他のアプリケーションソフトも開発。まず日本で、一気にジャストウィンドウを普及させんと意気込んでいた。
 しかし程なく、マイクロソフトがWindows 95を開発、深夜0時に販売開始というイベントで盛り上げ、大フィーバーを起こす。多くのパソコンにマイクロソフトオフィスが搭載され、一太郎の競合ソフトであるWordが初めからバンドルされていた。ジャストウインドウに力を入れるあまり、Windows 95向けの一太郎の提供時期が遅れ、一気にシェアを奪われた。IT業界の栄枯盛衰は激しく、数年前に浮川和宣?初子夫妻もジャストシステムを離れた。今やジャストシステムも一太郎も知らない若者が殆どだ。さらに、Windows 95で一大フィーバーを起こしたマイクロソフトも業界への影響力は大分薄れ、今はグーグル、アップルの時代である。

 徳島のもう一つの雄は、大塚製薬。1921年、大塚武三郎により大塚製薬工業部なる小さな化学原料メーカーとして鳴門に誕生した。大塚グループは、今や売上高1兆円超、国内外で約150社の企業集団に成長したが、創業者生誕の地である鳴門海峡の近くの徳島工場は今も操業を続けている。
 1965年に販売開始されたのが「オロナミンCドリンク」。炭酸の入った栄養ドリンクは当時珍しく、爆発的に販売量を伸ばしていく。ビタミンCをはじめとする各種ビタミン入り、120mlの適量なサイズ、ノドごしスッキリ、飲むたびに爽快感がひろがる、といったキャッチコピーの下、累計の生産本数は2011年5月18日に300億本を突破。ひと頃のブームは去ったものの今も年間5億本は売れているヒット商品である。
 徳島工場は1日3交替制で24時間稼動。生産されるオロナミンCは、1日110万本である。1年365日フル稼働すれば年間4億本。他に北海道の釧路工場でも生産されているが、この二つの工場で日本国内の消費量はすべて賄うことができる。徳島工場はその殆どを製造していることになる。特記すべきことは、工場はオートメーション化が進み、監視のための人はいるが、殆どが無人で生産されている、ということである。学生時代の頃、わくわくする思いで読んだ資本論に、生産された商品の価値は、原材料に労賃、減価償却費を加えた生産手段費に、生産過程によって付け加わった付加(剰余)価値が加わったものであるものとあった。機械はただ減価償却費のみを加えるに過ぎないというくだりにハッとした記憶がある。

 本題に入っていこう。殆ど無人で生産される商品の原価ははたしていくらなのか。恐ろしく安いであろう。家電商品を例にとった場合、工場出荷価格は定価のせいぜい3割程度と言われている。2007年ごろ、ノキアの携帯電話のバッテリーに加熱の恐れがあるとして、松下電池工業製のバッテリーパックの交換騒ぎがあった。このとき松下が400円程度で収めているバッテリーパックが6000円の定価で売られていると話題になった。ものによっては15分の1ということもあるのである。家電製品とは異なるが、どうあれオロナミンCの原価は相当に低いはずである。

 昨今のデフレ論議で、これ以上円高が続くと日本から製造業が消えてしまう、といった論議が盛んであったが、本当にそうであろうか。確かに人件費の安さは魅力的かも知れないが、機械はただ減価償却費のみを加えるに過ぎない。つまり、コンピュータ化することによって、よりコストは圧縮できる筈である。アマゾンは、倉庫とピッキングをとことん合理化することを考え、コンピュータ化できない単純な作業を人間にさせることによって低コストでスピーディな配送を可能にした。合計残高試算表を見て、勘定科目のここを下げれば利益が出る、という単純な分析ではなく、社会全体を見渡し、システム全体を考え、先入観を棄て、全体像を組み立てるのである。現地販売のための現地工場ならいざ知らず、大きな消費者のいるところなら、その近くで最先端の技術力を駆使しコンピュータ化を考えることがベストである。今や、なしえないことがないくらいまでコンピュータの技術は進んでいる。どうしてもコンピュータでできないところは、それこそ、人の手を借りればよい。

 イタリア、オリベッティ社の会長のアウレリオ?ペッチェイとイギリスの科学者のアレクサンダー?キングが、資源?人口?軍備拡張?経済?環境破壊などの全地球的な問題に対処するために立ち上げたローマクラブは、1972年、報告書「成長の限界」を発刊する。現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇(あと15年で石油が枯渇する)や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らした。(*1)
 翌1973年10月に第四次中東戦争が起きる。アラブ産油国が石油戦略を発動して敵対国への輸出価格を4倍に引き上げ、世界は一気に不況とインフレに苦しむことになる。日本でもスーパーからトイレットペーパーが消え、洗剤も買えなくなった。「石油ショック」である。
 筆者は学生時代、工学部の化学工学科に在籍したが、まさに石油が枯渇するという大問題にどう対処するか、代替エネルギーの開発が急務ということで、核融合を実現し新しいエネルギー源とする講義を受講していたことを覚えている。
 ローマクラブはその後も活動を続け、環境マネジメントシステムの国際標準規格ISO14001を定める。このあたりから、国際標準におけるヨーロッパの力が強くなり、日本企業は二重三重にハンディを負うことになってくる。
 「成長の限界」は、全世界に大きな衝撃を与えたレポートであった。発行後、40年余経過した今、この提言をどう評価するかでは、意見が真っ向から対立することも多い。信奉者にとっては、その後、変動要因はあったにしても、40年前の予言は画期的なものであり、何ら本質は変わっていない。環境基準はさらに厳しくしていかなければならず、危機回避のためには、人口を増やさないこと、成長を目指さないことが基本でもある。
 しかし、現実には人口爆発は続いている。石油はその後の切削技術の進歩と新しい油田の開発で、15年で枯渇するどころか、まだまだ大丈夫である。ICT技術の進歩も大幅な石油削減に寄与している。過剰流動性は1972年とは桁違いな大きさになってきている。オートメーションの進展は著しく、人はどんどん不要となる。食料は十分にある。コンピュータ技術は、プログラムを書く作業さえコンピュータによって代行させようとする。人口増が止まった先進諸国でも一段と仕事は減り、職がない若者が多数存在する。ICT機器の大幅な値下がりによって、パソコンは先進諸国だけのものではなってきている。通信機器が整備されていないアフリカの学校に衛星を介してインターネット環境が作られ、一気に知識を得る若者も多数現れてきている。

(*1)Wikipedia―成長の限界より